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水戸地方裁判所 昭和40年(わ)151号 判決 1971年10月04日

被告人 蔀亨

昭一三・三・一七生 国鉄職員(休職中)

主文

被告人を懲役二月に処する。

但し、この裁判確定の日から一年間、右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

第一、本事件発生の背景となつた昭和四〇年度春季闘争について

一、国鉄動力車労働組合の春季闘争について

1  機関車、電車気動車等の、いわゆる動力車の運転、検査、修理、整備等に携わる職員約六万名によつて組織されている国鉄動力車労働組合(以下動労という。)は、昭和三九年五月ころ組合代議員による全国大会を開催し、その大会において昭和四〇年度春季闘争(以下春闘という。)として動労職員の賃上げ要求の闘争を展開することが決定され、その後引き続いて開かれた動労傘下各地方本部のそれぞれ代議員による大会において右決定が確認されると同時に、その賃上げ要求額、闘争方針等についても協議された。かくて昭和三九年一〇月二六日ころ青森県弘前市において開催された動労の第四三回中央委員会において前記全国大会の負託のもとに、同年一〇月一日以降動労職員の賃金を平均金七、〇〇〇円引き上げ、かつ高校卒一八才の初任給を金二万円に引き上げることを主たる内容とする要求項目が決定されたので、同年一一月一二日付動力車甲第一四号賃上げ要求書として、これを日本国有鉄道(以下、国鉄という。)総裁宛に提出し、同年一一月二〇日までに右要求についての回答を求めたが、これにつき国鉄当局からは何等の回答もなく、同年一二月二〇日ころようやく国鉄当局との間に団体交渉がもたれるに至り、その後同四〇年二月二二日にもたれた七回目の団体交渉の際、国鉄当局から同日付動力車発第三四号をもつて前記新賃金要求等に対し「高等学校卒業者の初任給を一、〇〇〇円引き上げる」旨の回答をえたけれども、その他の要求事項については何等の回答にも接しなかつた。そこで、動労においては、その対策を協議したうえ、右賃金紛争解決について公共企業体等労働委員会(以下、委員会という。)に対し調停の申請をなし、その調停委員会において同年三月一八日以降三回位にわたり労使双方の出頭を求めて事情聴取が行われた。しかし、その間民間企業における春季賃上げ闘争においては基幹産業である鉄鋼労連が同年四月一三日ころ金二、五〇〇円の賃上げ回答を受諾するに至つたため、造船、合化労連、ビール会社等の食品産業等においても鉄鋼労連の右回答を軸として、いわゆる春闘相場が形成される情勢となつてきたけれども、依然動労を始めとする、いわゆる公労協関係労働組合と各所管庁との賃金紛争に関する団体交渉はもとより、調停委員会における労使双方の話し合いも一向に進展する気配がなかつたので、国鉄当局よりこの際むしろ右調停を打ち切り、委員会の仲裁裁定に移行してもらいたい旨の提案がなされたが、一方動労においては調停委員長の反省を促すべく同年四月二三日を期して二時間にわたる公労協の統一抗議ストライキ(以下四・二三闘争という。)に参加し、ストライキを決行するに至つた。

2  前記のように、調停委員会における労使双方の話し合いが進捗しなかつたことから四・二三闘争を実施するに至つたが、一方動労中央執行委員会においては、右交渉を有利に展開させるため、即日闘争委員会を設け、同月三〇日実施予定の公労協統一ストライキ(以下四・三〇闘争という。)に参加し、同日午前零時ころから同日正午までの間において、最も有効な時間帯三、四時間程度の、いわゆる半日ストライキを実施すること、ならびに動労の全国組織を二分して東部地区は常磐線を、西部地区は東海道線をそれぞれその闘争拠点とすることを決定するとともに、動労水戸地方本部(以下水戸地本という。)および静岡地方本部をその指定地方本部とし、全国の各地方本部に対しただちに四・三〇闘争の準備体制をとるようにとの指令を発した。そして、動労本部の目黒今朝次郎副委員長が同月二六日水戸地本に至り、水戸地本海老根三夫執行委員長、同じく戸島富治副委員長、渡辺重雄書記長、関昇教宣部長等水戸地本の組合役員に対し今次春闘に関する中央情勢の報告をするとともに、水戸地本はただちに四・三〇闘争の準備体制に入るようにとの指令伝達をしたので、その指令にもとづき水戸地本においては地本専従者会議を開き、水戸地本傘下の平、勝田各支部を拠点に、水戸支部を準拠点とすることにし、戸島副委員長を平支部に、渡辺書記長を勝田支部に、また関教宣部長を水戸支部にそれぞれ派遣する旨を決定し、翌二七日午前九時ころ水戸地本傘下の各支部(水戸、勝田、内郷、平、原の町、大子)代表者を水戸地本に集めて代表者会議を開き、海老根執行委員長より前記中央情勢の報告がなされた後、動労本部の指令にもとづき、右拠点、準拠点となつた各支部に対し、総力をあげて四・三〇闘争の準備体制をとるようにとの指令伝達がなされ、動労本部から水戸地本の闘争を指導するため、常磐地区最高責任者としては塩田書記次長、同じく水戸地区責任者としては田中中央執行委員、また勝田地区責任者としては木村忠一中央執行委員が、それぞれ派遣中央執行委員として、なお勝田地区には右木村中央執行委員のほかに、小柳正男中央執行委員および奥原全国整備分化会事務長等も派遣されたのであるが、同人等は同月二七日午後二時ころ水戸地本に到着し、その後それぞれ指定された配属支部に赴いた。

二、水戸鉄道管理局における前記水戸地本の春闘に対する対策について

水戸鉄道管理局においては、同管理局長が「四・三〇闘争対策本部設置要綱」(昭和四二年押第一〇三号の一参照)を作成し、同月二七日午後一時ころ同管理局の幹部職員を集めて前記水戸地本の春闘についての対策を協議するとともに「四・三〇スト対策本部」を設置し、同管理局長自ら右対策本部長となり、かつ水戸地本勝田支部が前記のように闘争拠点となつていたところから、右設置要綱にもとづき勝田電車区(勝田市中央町一番地の二号)に勝田地区対策部を設置してその対策部長に下川彪電気部長、同副部長に佐伯正雄水戸駐在運輸長をそれぞれ任命する一方、情報連絡班、現認班、業務対策班、警備班、公安班を設け、情報連絡班長に労務課の栗田長寿調査係長、現認班長に運輸部の中村英二総務課長、業務対策班長に佐藤一雄客貨車課長、警備班長に電気部の岩井弘毅総務課長、公安班長に大垣正雄水戸公安室長をそれぞれ任命した。そして、同日午後五時過ころから勝田電車区本区において右対策部長等および勝田電車区の木曽二郎電車区長、岩下信二首席助役、山田甲寅構内助役、武子検修助役、佐々木検修助役、島根事務助役等幹部職員が参集して対策部会が開かれたが、その際前記闘争に参加しないように乗務員(運転士)を説得し、これを当局側に確保すること等を中心議題として検討した結果、(1)、四月三〇日午前中の勝田電車区における乗務予定の運転士としては最低九名を確保することが必要であり、それらの乗務員に対しては木曽電車区長より、それぞれ業務命令書を交付する、(2)、四月二八日およびその翌二九日乗務予定の運転士であつて同月三〇日勤務明けで休日となる者に対しても乗務員の予備員として確保する、(3)、運転士見習の指導員である、いわゆる指導運転士の松井重雄、大森正美、菱沼清の三名に対しては四月二八日以降当局の指示により何時でも乗務できるように業務命令書を交付する等を内容とする乗務員確保の方針が定められ、かようにして当局側に確保した乗務員は、一応勝田市内の富士広旅館に待機させることとする一方、木曽電車区長は、乗務員を確保するため業務命令書、保護願書を各数十部宛印刷作成し、これを岩下首席助役に保管させる等して万全の準備を整えていた。

三、同月二八日以降本事件発生に至る間における組合側の闘争経過とこれに対する当局側の対策経過について

1  同月二八日には、水戸地本の組合員をはじめ、本件闘争を支援するため、動労の千葉、高崎、前橋各地方本部から勝田電車区に動員された約二〇〇名の組合員が同電車区構内の運転当直助役室北側の自転車置場付近、乗務員室南側の裏庭に張られた天幕内および右当直助役室と乗務員室との間の中庭(以下、中庭という。)東側の自転車置場付近にそれぞれ分散して待機し、時折り、同構内で集会を開き、デモ行進をする等して気勢をあげる一方、組合幹部において乗務終了後乗務員室に戻つて退区点呼(終業点呼)を受ける乗務員あるいは出勤点呼(仕業点呼を含む。)を受けて乗務しようとする乗務員に対し、本件闘争に参加するよう説得等して着々ストライキの準備を整えていたし、小柳中央執行委員、海老根水戸地本委員長、渡辺水戸地本書記長、鈴木勝田支部長、土屋高崎地本委員長等が同日午前一一時ころ右乗務員室一階にある勝田支部組合事務室において、鈴木勝田支部長からなされた勝田地区の情勢報告を分析して協議を重ねた結果、当局側の乗務員確保の活動も激しいので当局側と紛争を起すことを避け、水戸地本の組合員に対し、本件闘争に参加するよう説得工作を行うことに重点を置いて団結をはかる等の行動方針を決めた。ところで、勝田地区対策部は、同日不祥事態の発生に備えて警察官の勝田電車区構内立入りを認めてその警備に当らせる一方、同日午前九時ころ勝田電車区に参集し、大垣公安班長の指揮下に入つた鉄道公安職員一六名を前記当直助役室二階の一室に待機させる等し、乗務員確保の前記方針にもとづき、右運転当直助役室における乗務員の出勤点呼、退区点呼の際、木曽電車区長あるいは当直助役がその乗務員に対し当局側に協力し、闘争に参加しないよう説得して業務命令書を手渡す等して乗務員を確保すべく努力していたけれども、一向にその効果があがらなかつた。ところが、同日午後一時ころ海老根水戸地本委員長等から木曽電車区長に対しかような乗務員に対する説得行為は組合活動に対する干渉であるのみならず、乗務員に対しても心理的に悪影響を及ぼすものであるから中止して貰いたい旨抗議の申し入れがあつたが、当局側においては右説得行為が上司の命によるものであるとしてこれに応じられない旨主張して譲らず、話し合いがつかなかつたところから、これらの問題解決のため勝田地区対策部と水戸地本との間で双方の代表者によるトツプ会談を開いて話し合うことになつた。そこで同日午後二時三〇分ころから勝田電車区構内の乗務員室二階の分合員詰所において当局側(対策部)からは佐伯対策副部長、佐藤業対班長および木曽電車区長が、組合側(水戸地本)からは木村中央執行委員および海老根水戸地本委員長がそれぞれ出席して会談が開かれ、話し合いの結果、(1)、勝田駅ホームから前記乗務員室、運転当直助役室に至るまでの電車区構内においては双方とも乗務員を説得する等して奪い合いはしないこと、但し、双方ともこれを監視するために数名が駅ホームに出ることは差支えない。(2)、乗務員の点呼は通常どおり当直助役が運転当直助役室で行い、退区点呼の際には、当局側においては木曽電車区長、または首席助役が、組合側は勝田電車区の組合支部三役(幹部)のうち一名がそれぞれ立会うこと、なお乗務員の説得確保については、労使双方ともその乗務員の自由意思を尊重し、その意思によること。(3)、当局側は乗務員が当局宛に提出した保護願書を根拠にして警察官の導入をしないこと。(4)、当局側の最高責任者が下川電気部長であり、組合側の最高責任者が木村中執であることを相互に確認し、なお組合側は抜き打ち的なストライキをせず、ストライキに突入する際には、事前にその旨当局側に通告すること等を内容とする、いわゆる紳士協定が成立した。その後、本件闘争に参加している水戸地本の組合員をはじめ、これを支援すべく前記のように各地本から動員された約二〇〇名の組合員が同日午後四時ころから勝田電車区構内の中庭で総決起大会を開き、同構内をデモ行進したり、組合歌を高唱する等して気勢をあげ、かつ同日午後八時ころ一部の組合員によつて運転事務室入口の扉にビラが張られ、これを阻止しようとする当局側警備員との間で小ぜり合いが起り、その扉のガラスが破損する騒ぎがあり、また前記各地本から動員された組合員のうち約四〇名が、同日午後一〇時四〇分ころ同電車区車庫に入庫した電車内に泊り込む等のこともあつた。かくて、乗務員に対する組合側の説得工作は概ね効を奏したようであり、これに反し当局側の説得工作はその実効をあげることができず、それ故、確保した乗務員は、既に当局より業務命令を受けていた大森、菱沼、松井の各指導運転士以外は皆無という状況であつた。そして、同人等指導運転士はいずれも当局からの指示によつて同夜は当局の準備した勝田市内の富士広旅館に一泊するに至つたが、その間右菱沼指導運転士は、同日午後六時ころ勝田駅発の二三ダイヤに乗務予定の介川清運転士(組合役員)が欠乗したため、その代務として乗務した。

2  同月二九日午前六時三〇分勝田駅発の一四ダイヤの下り電車に乗務すべき介川清運転士が前夜に引き続き欠乗したため、大森指導運転士がこれに代つて右ダイヤに乗務することとなつたところ、同人からの要望で同僚の菱沼指導運転士がこれに添乗することとなつたが、当時、当局宛に保護願書を提出していた細谷運転士も組合幹部の説得によりその保護願書を撤回するという有様であつて、当局が乗務員を確保することは極めて困難な状況に立ち至つたところから、現に当局で確保している菱沼、大森両指導運転士も勝田駅に帰着した暁には、あるいは組合側に説得され獲得されるであろうことをおそれるあまり、同日午前一〇時過ころ佐伯対策副部長、佐藤業対班長、木曽電車区長等が協議した結果、その対策として下川対策部長の許可をえて、行路変更(運転変更)をし、右両指導運転士を途中駅で下車させて前記富士広旅館に案内し、同旅館で退区点呼を行なうことになり、かくて下川対策部長の許可をえて両指導運転士の乗務する電車に添乗するため、軍司勅、大橋清治両指導助役および片桐管理局員が勝田駅を出発して日立駅に向つた。その後、右軍司等三名は、日立駅で大森、菱沼両指導運転士の乗務する右電車を待ち受け、これに添乗して勝田駅に向つたが、その途中、右大森、菱沼の両名を東海駅で下車させた後、同人等に代わつて右軍司、大橋両助役がこれを運転して勝田駅に向う一方、片桐局員が、右大森、菱沼を同駅前で待機していた自動車に乗せて富士広旅館に案内し、その場で退区点呼を了し、そのまま同人等を同所で待機させた。大橋、軍司両指導助役は、右電車を運転して同日午後二時ころ勝田駅に帰着したが、これより先、同日の一七ダイヤの前半(勝田駅発一二時一九分高萩行四五九M電車、高萩駅発一三時四九分勝田駅着一四時三二分四七〇M電車)に乗務予定の組合役員北原十三男運転士が出勤点呼を受ける所定時刻の同日午前一一時四三分になつても出勤しなかつたため、当局は、やむなく同人に代つて松井指導運転士を乗務させることにし、直ちに軍司助役からその旨勝田電車区本区で勤務中の右松井に連絡して同人を呼び寄せ、勝田電車区運転当直助役室において同人に対し右ダイヤの乗務を命じた。かくて、松井指導運転士は、右一七ダイヤの前半の仕業を終えて同日午後二時三二分勝田駅に帰着した。ところで、そのころ前記のように、当局が大森、菱沼両指導運転士を途中駅で下車させて前記富士広旅館に待機させたことを知つた組合側は、当局のかかる措置が前記紳士協定の趣旨に違反するとして強く当局に抗議するとともに、その対策を協議した結果、組合の利益を守るためにも今後当局が乗務員を途中駅で下車させることがないように監視する必要があるとして数名の組合員を同乗させて監視を強める一方、現に右松井指導運転士が、本件闘争に参加する旨の意思を表明していないところから、同人に対し本件闘争に参加するよう極力説得すること等の方針を決定した。その後、松井指導運転士は、右一七ダイヤの後半(勝田駅発一七時二分、大津港駅着一八時七分一五秒、四六五M電車、大津港駅発一八時五〇分、水戸駅着一九時五八分、四八〇M電車、水戸駅発二〇時一三分、勝田駅着二〇時二〇分、六四八一M電車)に乗務することになつたので、同日午後五時二分勝田駅発大津港駅行の四六五M電車に乗つて出発したが、組合側においては、前記の決定に従い、木村中央執行委員が右松井指導運転士と顔見知りである宍戸良一千葉地本委員長に対し、右四六五M電車に同乗して右松井を監視しつつ、機会を捉え、本件闘争に参加するように説得方の指示を与え、かくて宍戸千葉地本委員長は、当局宛に提出している保護願を撤回する旨を記載した闘争参加確認書を持ち、千葉地本組合員等六名の動員者を指揮し、同電車の最前部車両に同乗して勝田駅を出発した。ところが、右松井指導運転士運転の四六五M電車が出発した同日午後五時二五分ころ前記富士広旅館に待機していた大森、菱沼両指導運転士が同旅館を出て組合側に走つたため、右菱沼の乗務予定となつていた同日午後一〇時三八分勝田駅発土浦駅行の二五ダイヤの運行に支障をきたすことになつた。かようなことから、本件ストライキ突入を目前にして、当局が運転要員として一応確保していた乗務員は松井指導運転士以外皆無の状況となつた。そこで下川対策部長は、佐伯対策副部長、木曽電車区長、大垣公安班長等とその対策を協議した結果、現に勝田駅発大津港駅行の前記四六五M電車に乗務中の松井指導運転士を是が非でも当局側に確保することになつたが、同電車には前記のように組合員数名が、同乗しているところから、同人等によつて右松井が説得されて組合側に確保される心配があるので、これを防ぐため鉄道公安職員を日立駅に派遣し、同人等をして同駅で右松井運転の大津港駅発一八時五〇分水戸駅行の四八〇M電車に同乗させ、水戸駅に至り、そして同運転士が水戸駅発二〇時一三分、勝田駅着二〇時二〇分の六四八一M回送電車に乗務して勝田駅に帰着するまでの間、右松井を保護、警備させることになり、前記対策部公安班員の松本弘、野村吉勝、町田博の三鉄道公安職員(以下、公安官という。)に対し「同日午後六時三〇分勝田駅発下り電車に乗つて日立駅まで行き、同駅で松井の乗務する大津港駅発水戸駅行上り電車(四八〇M電車)に同乗して水戸駅に至り、さらに水戸駅から勝田駅行の回送電車となる同電車に同乗し、その間右松井が、同乗している組合動員者によつて説得、確保されることのないよう右松井を保護、警備せよ」との特命を与え、かくて右公安官三名はその指示に従い、同日午後六時三〇分勝田駅発下り電車で日立駅に向けて出発した。ところで、松井指導運転士の前記四六五M電車は、定刻通り大津港駅に到着したが、同駅で停車している間に右松井は宍戸千葉地本委員長から前記闘争参加確認書に署名して貰いたい旨交渉説得されるに及び、その申出を拒否することによつて無用の混乱を生じ、そのため運転業務に支障をきたすことをおそれるあまり、求められるままに右確認書に署名した。しかるところ、その直後、右松井は、木曽勝田電車区長から「組合員が乗つているので気をつけよ。公安官や石井芳郎対策部班員、山田甲寅助役等を日立駅まで迎えにやる」旨の電話連絡を受けたので、その際右木曽区長に対し宍戸千葉地本委員長から求められるまま闘争参加確認書に署名した旨報告し、その後同日午後六時五〇分大津港駅発水戸駅行の四八〇M電車を運転して出発した。やがて、同電車が日立駅に到着すると同時に、同駅で待機していた前記石井、山田の両名が運転中の右松井の運転台に、又前記野村、松本、町田の三公安官が同電車最前部の客席にそれぞれ乗り込んだが、右松井はそのまま水戸駅に向けて運転を継続し、途中勝田駅に到着した際、同電車に同乗していた右宍戸等組合員を支援すべく、高崎地本委員長および同地本組合動員者七名が、同電車に乗り込んだ。そして同電車は、同日午後七時五八分水戸駅に到着し、その後同日午後八時一三分水戸駅発勝田駅行六四八一M回送電車となり、同乗していた組合員および公安官等を乗せたまま水戸駅を出発した。

3  ところで当局側においては、前記のとおり現に確保している乗務員が一人もおらず、かつ同日午後一〇時三八分勝田駅発土浦駅行の前記二五ダイヤに乗務予定の菱沼指導運転士が組合側に走つたため、今後の電車運行に支障をきたす状況となつたところから、同日午後七時一〇分ころ木曽勝田電車区長および佐藤業対班長が木村中央執行委員に対し「右二五ダイヤの乗務員を出して貰いたい」旨要求したところ、同人が当局の態度を難詰するのみで容易にこれに応じようとしなかつたので、この問題につき改めて組合側に交渉すべくトツプ会談の開催を申し入れ、同日午後七時三〇分過ころ前記乗務員室二階の分合員詰所において、当局側から佐伯対策副部長、佐藤業対班長、木曽勝田電車区長、組合側から小柳、木村各中央執行委員等がそれぞれ出席して会談をし、二五ダイヤの乗務員を出して貰いたい旨組合側に要請したが、組合側は当局側が前記のように乗務員を途中駅で下車させその点呼場所をも旅館に変更したことにつき、これが明らかに前記の紳士協定に違反する行為であると主張し、依然これに応じる態度を見せず、そのため佐伯対策副部長、木曽電車区長等は右交渉を打ち切つて運転当直助役室に引き揚げ、佐伯対策副部長からその旨下川対策部長に報告した。そこで、当局側においては、直ちに下川対策部長、佐伯対策副部長、対策部の各班長および木曽勝田電車区長等が右助役室においてその対策を協議した結果、同日午後八時二〇分勝田駅に到着する前記六四八一M回送電車運転の松井指導運転士を同日午後一〇時三七分勝田駅発土浦行の二五ダイヤに乗務させ、更に同人には翌三〇日早朝土浦駅発上野駅行の四五二M電車にも乗務させる予定をたてる一方、前記対策本部長である水戸鉄道管理局長から右松井指導運転士を当局側に獲得するようにとの指示命令があつたので、勝田地区対策部としては総力をあげて右松井指導運転士を確保することになつた。そこで、同日午後八時二〇分松井指導運転士の乗務する前記六四八一M回送電車が勝田駅下り線ホームに到着した後、直ちに同人を保護警備して同ホームから同駅の跨線橋を渡つて駅改札口へと誘導し、予め同駅前で待機する自動車に乗せて前記富士広旅館に案内し、同旅館で退区点呼をすませて次の仕業に乗務するまでの間待機させることになつた。そこで、下川対策部長から大垣公安班長に対し水戸鉄道管理局長の命により松井指導運転士を確保することになつたことを伝えるとともに、同人を確保するようにと指示し、その指示を受けた大垣公安班長は部下班員(公安官)一三名を運転当直助役室前廊下に集めて右六四八一M回送電車が勝田駅下り線ホームに到着すると同時に、松井指導運転士を当局側に確保することになつた旨を伝えたうえ、同運転士を保護警備するため公安班を自動車班、写真班、警備班の三班に編成し、ことに警備班(班員九名)は、勝田駅下り線ホームに出動し、当局側の他の警備班(約四、五〇名)と協力して該ホームに到着した右松井指導運転士を保護警備して勝田駅改札口まで誘導することとする一方、自動車班はその誘導された同人を同駅前から自動車に乗せて前記富士広旅館に送り届けることにしたので、木曽勝田電車区長は、同日午後八時ころ事前に木村中央執行委員に対し、松井指導運転士を当局側に確保することになつた旨を通告したが、その直後、大垣公安班長の指揮のもとに同班長ほか佐藤俊夫等警備班員(公安官)九名が、当局側の警備員約四、五〇名とともに勝田駅下り線ホームに出動し、前記六四八一M回送電車の停止予定位置付近で待機することになつた。一方、木曽勝田電車区長から松井指導運転士確保の前記事前通告を受けた木村中央執行委員は、同日午後八時一〇分ころ当局側が松井指導運転士を確保すべく右ホームに出動したことを知り、折から勝田電車区構内で待機していた組合動員者に対し、直ちに同駅下り線ホームに出動するよう各地本委員長を通じて指令を発するとともに、自ら組合動員者約一〇〇名を指揮して同構内から職員通路を通り下り線ホームに出動し、すでに該ホーム上で大垣公安班長の指揮のもとに待機していた公安班員等を中にはさむようにして水戸駅寄りと日立駅寄りとにそれぞれ約五〇名宛に分かれ右電車の到着を待ちつつ待機するに至つた。

4  かくて、松井指導運転士の乗務する前記四六八一M回送電車は定刻通り、同日午後八時二〇分勝田駅下り線ホームの所定停止位置に停車したが、それと同時に右電車の最前部車両に同乗していた前記町田、野村、松本の三公安官が直ちにその車両の非常コツクを引き出入口のドアーを開けて、右松井指導運転士を保護警備すべく該ホーム上に飛び降りるや否や、該運転士の乗務員出入口に近寄る一方、右出入口付近で待機していた約五〇名の前記組合動員者もまたその出入口に殺到したため、その出入口付近で互にひしめき合いの状態となつた。そのうち右松井指導運転士が運転台から下車したので右町田公安官が右松井の右腕をとり、又松本公安官がその左腕をとり、そして野村公安官が右松本の背後にまわり、ともに右松井を保護警備して前記運転当直助役室に誘導しようとしたところ、組合側も右松井を確保しようとしていたところから、該ホーム上で押し合い、引張り合いの混乱状態となり、そのため大垣公安班長より右町田、松本、野村に対し、前記のように右松井指導運転士をその場から同駅前に誘導し富士広旅館に案内すべき旨連絡できないうちに、間もなく右松井指導運転士を取り囲んだ公安官および組合動員者等十数名の先頭集団ができ、これが右ホーム北端の階段から足早に乗務員専用通路を通つて乗務員室北側の中庭方向に移動して行き、右松井指導運転士は組合動員者に囲まれたままの状態で乗務員室に入り、結局組合側に確保されるに至つた。その間右松本公安官は、右ホーム北端の階段付近で、野村公安官は中庭入口の危険防止柵付近で、又町田公安官は右乗務員室の入口付近で、いずれも右松井指導運転士と離れてしまつた。

第二、罪となるべき事実

一、被告人の経歴および本件四・三〇闘争に参加するに至つた経緯について

被告人は、昭和三一年警察官となつたが、一年後にやめて国鉄職員となり、同三四年九月機関助手見習、翌三五年一二月機関助士、同三六年二月電気機関助士となつたものであり、なお動労水戸地本水戸支部所属の組合員であるが、同四〇年四月二六日午後四時ころ水戸機関区に赴いた際、偶々同支部執行委員柏英一に出合い、同人より四・三〇闘争に参加して貰いたい旨要請され、またその翌二七日午後五時三〇分ころ同機関区乗務員室に出勤した際、同室の掲示板に「四月三〇日午前零時から勝田電車区拠点ストに突入する」旨の掲示がなされていたところから、勝田電車区が本件四・三〇闘争の拠点となつていることを知るに至つた。かくて被告人は、同日午後六時四七分の下り電車に半田芳運転士とともに乗務し、その翌二八日午前四時一〇分水戸駅に帰着して勤務を終え、次いでその翌二九日午前三時一〇分水戸駅発上り電車に栗田義雄運転士とともに乗務し、同日午前五時三九分上野駅に到着後、同電車を尾久駅に回送してから、田端機関区休憩室で朝食をとる等した後、同日午前九時五〇分上野駅発急行「みちのく」に乗務し、同日午前一一時二九分水戸駅に帰着してその勤務を終えた。そこで同日午後零時ころ偶々出会つた同僚の小口武彦とともに同機関区内で入浴した後、飲酒することになり、同日午後一時ころ水戸駅付近の中華料理店「扇子」でともに清酒約一・四リツトルを飲酒し、次いで水戸市曙町の右小口方に至り、同人宅でともに清酒約〇・三リツトルを飲酒し、更に同人と連れ立つて肩書被告人方に至り同日午後四時ころから同人宅でともに清酒約一・四リツトルを飲酒した。その後、本件四・三〇闘争に参加すべく右小口とともに水戸機関区に立寄り、同日午後六時五〇分水戸駅発の電車で右闘争の拠点となつている勝田電車区の構内に赴き、同構内の当直助役室および乗務員室付近で待機していた組合動員者に合流した後、付近中庭で約五、六〇名の組合動員者とともに集会やデモ行進に参加する等して気勢をあげ、乗務員室南側の裏庭付近で組合動員者とともに待機していた。

二、本件犯行について

被告人は、勝田電車区構内の乗務員室南側の裏庭で待機していたところ、前記第一、一、3に記載のように、同日午後八時過ころ勝田地区対策部の下川対策部長から前記六四八一M回送電車(水戸駅発同日午後八時一三分、勝田駅着同日午後八時二〇分)に乗務している松井指導運転士を当局側に確保するようにとの指示を受けた大垣公安班長が、右松井を保護警備すべく、佐藤俊夫等九名の警備班員を指揮して勝田駅構内の下り線ホームに出動し、その直後、同様右松井指導運転士を組合側に確保すべく木村中央執行委員の指令に従い、その指揮のもとに勝田電車区構内で待機していた約一〇〇名の組合動員者が下り線ホームに出動するや、これにやや遅れて同様右ホームに出動したところ、松井指導運転士の乗務する右六四八一M回送電車が到着後同運転士が運転台から該ホームに降りた途端、互に同運転士を確保しようとして押し合い、もみ合いの混乱状態となり、間もなく右松井指導運転士を取り巻くようにした十数名の公安官および組合動員者の先頭集団が中庭方向に足早に移動し始めたので、これに続いてそのあとから右ホーム上の組合動員者とともに中庭へ向つて移動するうち、先頭集団にいる右松井指導運転士を組合側に確保しようと考え、その先頭集団に近寄ろうとして運転当直助役室と乗務員室とを結ぶ渡り廊下東側の中庭付近にひしめき合つている組合動員者のかたわらを通り、乗務員室北側の軒下沿いに該乗務員室玄関口の階段付近に至つたが、その際たまたま右渡り廊下の東側である右乗務員室玄関付近の中庭でヘルメツトをかぶり輪になつた佐藤俊夫等数名の鉄道公安職員を認めると同時に、そのまわりを約数十名の組合動員者が取り巻き、渦巻き状態でもみ合つている情景を目撃するに及んで、右松井指導運転士が右公安官等の輪の中にいるものと思い込み、直ちに乗務員室玄関口の階段付近から佐藤公安官等に向つて突き進み、前記のとおり上司の命令で右松井を当局側に確保すべくその保護警備の任務を有する右佐藤公安官に近寄るや否や、矢庭に同人に対しその右耳うしろの後頭部あたりを左手拳をふるつて一回殴打する暴行を加えて、同人の右職務の執行を妨害し、その直後、その場でこれを現認した公安官町田博および同野村吉勝から鉄道施設内における公務執行妨害の現行犯人として逮捕されようとするや、さらにその逮捕を逸れようとして、右町田に対しその左手の親指をねじあげ、又右野村に対しその右手を引つ掻き、その左下腿部を足で蹴りあげる等の暴行を加えて、町田および野村の右職務の執行を妨害し、その際右暴行により右町田に対し加療約三日間を要する左拇指切傷、右野村に対し加療約三日間を要する右手背擦過傷、左下腿打撲症を、それぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為中、公務執行妨害の点は各刑法第九五条第一項に、傷害の点は各同法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、被害者野村および町田に対する公務執行妨害の罪と被害者野村に対する傷害の罪ならびに被害者町田に対する傷害の罪はそれぞれ一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条を各適用し、結局最も重い被害者町田に対する傷害の罪の一罪とし、その刑で処断すべく、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、右は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文第一〇条により、被害者町田に対する傷害罪の刑に同法第四七条但書の制限に従い法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役二月に処し、なお諸般の情状にかんがみ、刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二五条第一項を適用し、この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り、全部これを被告人に負担させることとする。

(弁護人らの主張に対する判断)

第一、本件公務執行妨害、傷害の各事実が存在しない旨の主張について

弁護人等は当公判廷において、被告人が前判示勝田駅下り線ホーム上から、判示乗務員室玄関口付近に至り、その玄関口の階段上において判示中庭における渦巻きの状況を眺めていた際、突然背後から誰かに勢よく押されて、階段からおちた直後、背後から人に抱きつかれ「この野郎やつちまえ」との声が聞えたので見ると、公安官であつたから驚いて判示運転当直助役室の方向へ二、三メートル逃げたところを四、五人の公安官に押え込まれ、逮捕されたのであつて、右は明らかに誤認逮捕ないしデツチ上げ逮捕であるのみならず、被告人が公安官の職務執行を妨害したこともなければ、同公安官に対し傷害を与えた事実もない旨本件公訴事実につき全面的に争うので、以下検討を加えることとする。

一、前掲各証拠ことに

1  第一九回公判調書のうち証人佐藤俊夫の供述中、同人の「四月二九日午後七時四〇分ころ私たち一七名の公安官が運転当直助役室の二階に集つた際、私は勝田地区対策部公安班の大垣公安班長(公安室長)から『午後八時二〇分勝田に着く六四八一M電車の松井運転士は指導運転士であり当局に協力的な運転士である。この運転士を当局側で確保しなければ明日の朝の列車が止まつてしまう。是非とも当局で確保しなければならない。この電車には水戸から松本、町田、野村の三名の公安官が乗つている。松井運転士が下車したら勝田駅の跨線橋をわたつて勝田駅の改札口に待たせてある自動車のところまで警護して行つてもらいたい』との命令を受けたが、そのとき公安班が写真班、自動車班、警備班の三班に分けられ、私は警備班に所属した。私は、同日午後八時過ぎころ大垣公安班長の指揮のもとに同班長および警備班員八名とともに勝田駅下り線ホームに出動し、同ホーム上で待機するとともに当局側の警備班数十名も右ホームに出動し私たちの付近で待機したところ、間もなく右ホームの北側の乗務員専用通路の方から組合員がワツシヨイ、ワツシヨイ気勢をあげながらホームに出動し、同様待機するに至つた。その後、午後八時二〇分に松井運転士の乗務する六四八一M電車が右ホームに到着し、その電車の最前部の車両から野村、町田、松本の三公安官が下車して運転台の乗務員が乗り降りするところに行き、下車した右松井運転士を中にして腕をとつたり、後ろから押えたりして警護する体制で取り囲んだ。私達は松井運転士を保護しろと言われていたが、組合員が大勢いて仲々松井運転士に近づくことが出来ず、そのうちもみ合いとなり、松井運転士は組合員に連れられて電車区の方へ向つた。それで私はどうしても松井運転士を組合側から取り返えし、駅の改札口まで警護しなければならないと考え、そのあとを追つて電車区の中庭へ行つたところ、松井運転士は組合員に連れ去られるような恰好で乗務員室入口から中に入つてしまつたので、そのあとを追つてその入口を一、二メートル入つたが、その入口付近は組合員で一杯で殺気立つていたため、身の危険を感じ、松井運転士が組合員に連れ去られた旨を上司に報告してそのあとの指示を仰ごうと思い、引き返して渡り廊下の方へ降りたところ、その付近が大勢の組合員で渦巻きみたいな状態となつており、その渦巻きに巻き込まれてしまい、もまれたり、押されたりして自転車置場の方向へ移動して行き、運転当直助役室の方を向いていたときに誰れかに右耳のうしろを殴られ、頭にズシンというシヨツクを受け首が前のめりになつた。そのときは恰度なんか棒で殴られたような感じであつた。誰れが殴つたのだろうと思い、私が右の方を向いたところ私の後ろにいた磯部公安官が『殴つたのはこの男だ』『この奴が殴つたんだ』と言つて右斜めにいたがつちりした黒眼鏡をかけた男(被告人)を逮捕しようとして手を掛けた。その男は逃げようとしていたので、私は逃がしては大変だと思い、その男の後ろから抱きついた。そして、磯部、町田の両公安官もその男をつかまえていたが、その男はものすごくあばれていて仲々手錠をかけることが出来なかつた」旨の供述記載

2  第一八回公判調書のうち証人町田博の供述中、同人の「四月二九日午後五時三〇分ころ私は松本、野村両公安官とともに運転当直助役室の二階の廊下で勝田地区対策部の大垣公安班長から『松井運転士が大津港まで電車を運転して行つている。その電車に六、七名の組合員が乗つて行つたから日立まで出向いて松井運転士の乗務中の上り電車に乗り込んで同人を組合側の説得行為から保護して勝田駅まで連れて来い』という命令を受け、その際、大垣公安班長は松井運転士は組合員であるが、指導運転士であつて当局側に近い人であり、保護願を出しているという話をしており、私等は右班長から『勝田から日立へ行き、松井運転士の運転する上り電車を出迎え、それに乗り込み水戸まで行き、折り返えしの電車に乗つて勝田まで来い』と言われ、『勝田に着いたら残りの公安官が出迎えに出るから心配するな』ということであつた。そこで一八時三〇分ころの勝田発下り電車で私と松本、野村の三公安官と山田助役、石井局員の五人が日立へ向つた。日立駅のホームで松井運転士の上り電車を待ち、私と松本、野村の三人が運転室のすぐ後ろの車両に乗り込み、水戸へ向つたが、途中勝田駅で組合員六、七名が最前部の車両に乗り込んで来て同乗していた組合員と合流したので組合員は一四、五名になつた。その後、その電車は水戸で折り返えし、二〇時二〇分勝田駅下りホームに到着したが、その到着前に私たち公安官は勝田に着いた場合、松井運転士をどのようにして保護したらよいかと相談した。その結果、松井運転士の右腕を私がとり、松本公安官が左腕、野村公安官が後ろから保護するということになり、もし出迎えの公安官がいない場合は松井運転士を真直ぐ運転当直助役室に連れて行くということになつた。それで電車が勝田に着きドアが開くと同時に私達三公安官はホームに飛び降り、運転台の乗務員用のドアーのところへ行き、下車した松井運転士を車内で予め相談したとおり、同人の腕をとる等して同人を保護したが、そのときには組合員達が、私達を取り囲んでワツシヨイ、ワツシヨイと言いながら押したり、引つぱつたりしてホーム上でもみ合いとなつた。その後、私は松井運転士の腕をつかまえたまま、線路を横切つて引つぱられたり、押されたりしながら運転当直助役室と乗務員詰所(乗務員室)の間の中庭の方に来た。そこで私は松井運転士を運転当直助役室の方へ連れて行こうとしたが、そのとき、同人の腕をつかまえていたのは私だけであり、組合員に押されたり引つぱられたりしながら、私の意思とは反対の方向の乗務員詰所の方に連れて行かれ、詰所の入口のドアーから一、二メートル中へ入つたところで久野主任(公安官)から肩をたたかれ『引け』と言われたので、つかんでいた松井運転士の腕を離して中庭の方に出た。そのころ、ドアーから表へ出て階段を降りきつたところから一、二メートル離れた通路の上あたりに五、六名の公安官がいた。そのころからホームから中庭へ入つて来た組合員が沢山押し寄せて来てもみ合いが始まり、もまれているうち私はその公安官たちと一緒になつた。そのうち、私はサングラスをかけた組合員(被告人)が、佐藤公安官の右耳のつけねの後ろのあたりを左手の手拳で上方からふりおろすようにして殴るのを五〇センチメートルか一メートル位はなれたところで見たが、明らかに殴る意思で殴つたような殴り方であつた。そこで私は、『公務執行妨害だ。現行犯だ。逮捕する』と二、三回言つたと記憶するが、又磯部公安官も『この男が殴つたんだ』というようなことを言つており、佐藤公安官はすぐ振返つてサングラスをかけた男(被告人)を後ろから抱え、私もその男の左腕を押えて、ともに逮捕しようとしたが、その男がしやがんだり、足で蹴とばしたり、手をバタバタやつたりして、かなり暴れたので仲々逮捕することが出来ず、そしてその男は押えている私の左手の親指をねじりあげるようにして振りほどこうとした。その際、私は、チカツという痛みを親指とその付け根に感じ、なお、親指の爪の付け根と第一関節との間にやや三日月型の傷が出来た。その後私はその男の左手に手錠をかけて逮捕した。その当時の中庭は、両建物(運転当直助役室および乗務員詰所)の一、二階とも電灯が全部ついていたようであり、又デモの中心付近を二つの投光機が照らしていたので明るかつた。そして、公安官は紺色の正規の作業服を着て、左腕に白地に『鉄道公安』と黒で書かれた腕章つけており、一方組合員は、紺の作業服を着たり、黒ジヤンバーを着たり千差万別であり、組合員と公安官は一見すればわかる状況であつた」旨の供述部分

3  第一五回公判調書のうち証人野村吉勝の供述中、同人の「私は四月二九日午後五時三〇分ころ松本、町田の両公安官とともに勝田地区対策部の大垣公安班長に呼ばれて運転当直助役室二階の廊下に集つたが、その際、大垣公安班長だつたか、久野主任だつたか記憶ないが、上司の方から『これからお前達三人で日立まで行き、そこで松井運転士の運転する大津港発水戸行、そして水戸から回送となつて勝田まで帰つて来る電車に乗り込み、組合員が同乗しているので、もし松井運転士の乗務を阻害するような組合員の行為があれば、それを防ぐように、その間警護しろ』という命令を受け、勝田到着後は別命を出すということであつた。そこで右松本、町田の両公安官とともに右命令どおり松井運転士の電車に警乗し、同日午後八時二〇分勝田駅下りホームに到着したが、その直後下りホームに公安官を中心に両側に組合員、そして付近に白腕章をつけた当局の人等約二、三百人いるのが見えた。私達は松井運転士の電車が勝田に到着する前に、最悪の場合のことを考え、松井運転士を保護する方法として、私が両人の後ろから腰を抱くようにし、右町田、松本の両名は左右の腕をとつて運転当直助役室に連れて行こうと話し合つていた。電車が勝田駅の下りホームに到着すると同時に、電車から降りて運転台の乗降口のところに行き、下車した松井運転士を話し合いのとおり、腕をかかえる等して運転当直助役室の方へ連れて行こうとしたところ、組合員がそれを奪還しようとしたことからホーム上で大きな渦巻きのような形になつて押し合い、もみ合いが始つてしまい、それが次第にホーム北端の階段から線路を渡つて中庭の方へ移動して行つた。町田公安官は松井運転士の右側か左側かでその腕を持つて、組合員の流れに流された形で松井運転士と一緒に乗務員詰所に入つて行つたが、私もそれに四、五メートル遅れてその詰所の玄関から一メートル位入つた。しかし、そのときには組合員が一杯であり、私は身の危険を感じたし、私一人ではどうにもできないと思い、他の公安官を捜そうとして、いつたんその詰所の玄関から階段のところに出て、中庭の方を見ていた際、公安官を中心にして組合員が一つの渦巻きみたいな形になつていて、恰度公安帽をかぶつた佐藤公安官と思われる人の右脇にいた黒メガネをかけた男(被告人)が左手拳を大きくふりあげて、佐藤公安官の右耳の後ろを殴つたのを見た。私は、これを見て明らかに故意に殴つたようであり、許しておくべきでないと考え、公務執行妨害で逮捕しようとして、すぐその場へ突き進んで行こうとしたが、組合員が大勢いて仲仲行けなかつたが、かき分け、押し分けしてその男(被告人)に近づいたとき、山崎主任(公安官)と思うが『公務執行妨害だ、逮捕しろ』という同人の声が聞こえ、私も公務執行妨害で逮捕しなければならないと思い、その男(被告人)の右腕をつかまえたところ、その男がそれを振り払うので、またつかまえたらそれをもぎ取ろうとした。そのとき、私は手の甲に「ちかつ」というような感じを受け、かつその男から私の右足下腿部を一回蹴飛ばされた。その後間もなく町田がその男に手錠をかけたと思う」旨の供述記載

4  第一七回公判調書のうち証人松本弘の供述中、同人の「四月二九日夕方私、町田、野村の三名の公安官が、大垣公安班長に呼ばれて運転当直助役室の二階に行つたとき、同班長から『これから午後六時三〇分勝田駅発の下り電車で日立駅まで行き、同駅から大津港発水戸行の松井運転士の運転する電車に乗り込み、水戸駅に行き、これから同駅で折り返えし勝田駅行の回送電車となるので、その間これに同乗して同運転士を保護護衛し、その乗務に支障を来たすような場合はこれを阻止しなさい』という命令を受けたが、その際同運転士は指導運転士であつて当局に非常に協力的であるということを聞いた。その後、私たちは右命令どおり下り電車に乗つて勝田駅を出発し、日立駅で松井運転の水戸行きの上り電車に乗り込み、同運転士を保護護衛しながら回送電車で同日午後八時二〇分勝田駅下り線ホームに帰着したが、その到着直前百五、六〇名の組合員や公安官が右下り線ホームに出ているのを見た。そして電車が右ホームに到着するや否や私たちは運転台の乗務員の乗降口のところに行き、私がホームに降りた松井運転士の左腕を、町田が右腕をそれぞれ持ち、野村はその後ろになつて中庭の運転当直助役室の方へ行く態勢をとつたところ、それと同時に組合員がものすごい圧力で私等を引き離そうとしてぐるぐる回わされ、渦巻きのような状態で押され、流されてホームの末端まで行つたとき、私が松井運転士を離すと、組合員が松井運転士を真中にして渦巻きの状態で上り線を通つて中庭の乗務員詰所(乗務員室)の方へ行つた。私は松井運転士の六、七メートルあとからついて行き乗務員詰所に約二メートル位入つたとき、組合員に入るのを阻止されたので、私一人では危いと思つて外へ出て、右詰所の玄関口の階段のところまで下がり、そこで中庭を見たら十何名かの公安官を中にしてその外側を組合員が囲み渦巻きになつて公安官がもまれている状態であつた。そこで私はその渦巻きのところへ駈けつけ、外側の組合員の間をぬつてその中に入つて行つたが、入つて間もなく『逮捕した』『公務執行妨害で逮捕した』という声を聞いた」旨の供述記載

5  第一六回公判調書のうち、証人磯部武男の供述のうち「私は四月二九日午後七時五〇分ころ久野副室長の指示で他の二〇名近くの公安官とともに運転当直助役室二階の廊下に集つたが、その際同人から『今から二〇時二〇分に勝田駅下りホームに着く六四八一M電車の乗務員の確保に行く』と言われ、各部署を決め、写真班、自動車班以外の者は下りホームへ行けと指示され、警備の方法として乗務員がホームに降りたならば跨線橋を渡つて勝田駅改札口を出て、駅待合室前に待たせてある自動車に乗せて旅館に護送する。そして、私等ホームにいる者はその自動車に乗せるまでを護衛するのだということであり、その話の途中に大垣室長(公安班長)が来られ、同人からも久野副室長と同じような命令を受けた。その際大垣室長は、この乗務員は指導運転士であり、当局の保護を希望しているので、当局も絶対に確保しなければならないと言つていた。その後、二〇時一〇分ころ私達九名の公安官は大垣室長の指揮のもとに中庭を出て乗務員専用通路を通つて勝田駅下りホームに行つたが、その際今度来る電車には松本、野村、町田の三公安官が乗つているし、組合員も乗つていると聞いた。私達が下りホームに出た以外に当局側の警備員も二、三〇名ホームに来たし、間もなく約一〇〇名の組合員が乗務員専用通路を通つて四列にスクラムを組んでワツシヨイ、ワツシヨイかけ声をかけてホームに来て、私達を日立寄りと水戸寄りの両側から挾むようにして待機した。その後、午後八時二〇分に六四八一M電車が下りホームに到着したが、恰度日立寄りに待機していた組合員の真前あたりに電車の先頭が止まつたので私達はその先頭の方へ行こうと思つたが、組合員に囲まれて仲々行くことが出来ず、漸く運転士の乗降口に二、三メートルのところまで行つたときには皆ばらばらになつてしまつた。私は問題の運転士(松井運転士)が運転台からホームに降りるのを見たが、名前はわからないけれども以前に顔をみたことがある人であつた。その後、ホーム上でもみ合いとなり、そのうちその運転士を連れた公安官がホームの北端から乗務員専用通路を通つて行くのを見たので、これは大変だ、早く保護しなければと思い、そのあと二、三メートルのところをもまれながらついて行つたところ、運転士と一緒に歩いていた組合員や公安官の人たちは中庭からなだれ込むようにして乗務員室(乗務員詰所)の方へ入つて行つた。私は乗務員室の入口のドアから一歩位入り、なお入ろうとしたけれどもそこに組合員が一杯いて中庭に押し出されてしまい、またその中庭も組合員が一杯おつて、それにもまれてしまつたが、そのうち私の近くにいた佐藤、町田の両公安官と一緒になつた。恰度そのころ私の右脇にいた黒メガネをかけた背の大きい、がつちりした作業帽をかぶつた組合員(被告人)が左手拳で佐藤公安官の右耳の後ろあたりを殴つたので、私はその腕をつかまえようと思つて大きな声で『殴つた』と二、三回怒鳴ると同時にその手をつかもうとしたが、つかまえることが出来ず、すぐ町田公安官が『現行犯で逮捕する』と怒鳴つて被告人のところへ来た。私はそのころ山崎主任が『公務執行妨害で逮捕しろ』と二、三回大声で言つているのを聞いている。そして、私は、佐藤、町田の両公安官とともにデモ隊にもまれながら被告人を逮捕しようとしたが、被告人は相当な力があり、手足をバタバタやるし、立つたり、しやがんだりするので仲々逮捕することが出来なかつたが、そのうち町田公安官が片手錠をかけて逮捕した」旨の供述記載

6  第一三回公判調書のうち、証人山崎勇の供述のうち「四月二九日午後八時ころ勝田地区対策部の公安班の公安官等(一四名)が勝田駅下りホームに出動してから、間もなく当局側の人も約四〇人位そのホームに来たが、そのあと約百二、三〇人の組合員が、ワツシヨイ、ワツシヨイと気勢をあげ、ピイツ、ピイツやりながらホームに出て来た。その後松井運転士の運転する六四八一M回送電車がホームに到着したが、その付近には約八、九〇名の組合員がおり、松井運転士が下車した直後、水戸寄りの方で待機していた約四〇人の組合員がなだれ込むように松井運転士の降り口の方に殺到したので、たちまちホーム上が渦巻きのような状態になつた。私は松井運転士に全然寄りつけず、同人は警乗して来た松本、野村、町田の三公安官に囲まれて右ホームを渦巻きに巻かれながら勝田電車区の方へ行つたので、そのあとを追いかけ、恰度運転当直助役室と乗務員室との渡り廊下付近まで来たときには、すでに松井運転士が大勢の組合員によつて乗務員室内に連れ込まれたあとであつた。そこで私は約三〇名の組合員等により右廊下東側の中庭に押し流されてしまい、そのとき、左斜前にいた磯部公安官の『この男が佐藤君を殴つたんだ』と怒鳴る声を聞いた。私は殴るところは見ていないが、右磯部に対し『公務執行妨害で逮捕しろ』と数回怒鳴つた。黒メガネの男(被告人)は、非常に体格がよく、両手をあげたり下げたりしてふり回わし、それから立つたり屈んだり、伸ばしたり、縮めたりして大分あばれているような状態であり、その後町田がその男に片手錠をかけた」旨の供述記載

7  被告人の検察官に対する昭和四〇年五月一〇日付供述調書中、「私が下りホームから飛び降りたところ、一団となつたデモの先頭は上り線路の上あたりを中庭の方へ向つてもみ合いながら移動して行くところであり、私はデモの先頭の一団の中に乗務員がおるに違いない、これを奪い取らねばならないと思つた。そして、私が下りホーム上から中庭に来たときには、渡り廊下あたりにデモ隊が一杯いたので、私はデモの先頭の渦巻きの中心に近づこうと思い、乗務員室の軒下沿いに私の前にいる人を追い越し、乗務員室玄関口の階段の上を通つてまだ渦巻きの中心が南へ移動しない前に南側へ回わり、デモの中心に近づこうとしたとき、渦巻きの中心にヘルメツトをかぶつた何人かの公安官が輪になつており、その外側には組合員約一〇〇名位が取り巻いてもみ合つていた。私はこの公安官数名のかたまりの中に奪い合いをしている乗務員がいるに違いないと思い乗務員室入口階段南端から怒鳴つたり、叫んだりしながら私の前にいた組合員を押しわけ、突きわけて公安官のかたまりの方へ突進して行つた。私がかように組合員を押し分け、突きわけした後、ヘルメツト姿の公安官がいたので『何をやつているのか』と怒鳴つたり叫んだりした。私も興奮して気が立つていたので二、三人の公安官を押しわけ、突きわけし、手を前に突いたり、横にに押したりデモの渦巻きの中へ私一人が突進して行き、ヘルメットであるから公安官とわかりながら、相手の後ろや横から平手や手拳で押したり、突いたりした。私は、特に公安官だから、ひどく殴ろうと思つて殴りつけたのではないが、しかしヘルメツト姿の公安官五、六人位かたまつているところへ行き、押しわけ、突きわけしたことは間違いない。その直後、私は背後から胴を抱きつかれ、それと同時に私のまわりにいた公安官が寄つて来て囲まれたような形で二、三メートル運転当直助役室の方へ移動し、そこで私は三人位の公安官から胴に抱きつかれ、羽がいじめにされ押えられそうになつたので、捕つては大変と思い、両手拳を前に突いたり、上下に動かしたりして懸命に暴れたが、左手首に手錠をかけられた。しかし、その後も同じように右手拳を突いたり、引いたり振り回わしてなんとか捕まらないようにしたので遂に右手錠はかけさせなかつたのである」旨の供述記載

8  被告人の検察官に対する同月一六日付供述調書中、「私は四月二九日午後一時ころから六時ころまで約一升(約一、八リツトル)の酒を飲んだと記憶するが、その後勝田電車区へ行き闘争に参加し、ホーム上でもみ合いが始つたころは酒を飲むのをやめてから二時間位経つていたので酔いは殆んどさめていたけれども、体が温かく、気も強く大きくなつており、酒の勢いが残つていた。私はホームのもみ合いが始つて後、みんなとともに中庭になだれ込んだが、酒を飲んだあとのため、元気が出ていたことは確かである。それ故、乗務員室入口の階段から押された後、前の方に押し進んで渦巻きの中心の公安官の方向へ行つた。その後、酒の勢いも残つていたため、大声で怒鳴るし、押したり、突いたり、ひとより目立つ行為をしたことは確かであり、それで逮捕されたわけである」旨の供述記載

その他関係証拠を併せ考えてみると、前判示のように、被告人が判示日時、判示乗務員室南側の裏庭付近で組合動員者とともに待機していたところ、松井指導運転士の乗務する判示六四八一M回送電車が勝田駅下り線ホームに到着するに当り、当局側が同運転士を確保すべく同ホームに出動する一方、これを知つた組合側も同様同運転士を確保すべく、木村中央執行委員の指揮のもとに組合動員者約一〇〇名が右ホーム上に出動したが、その際、被告人もこれにやや遅れて同様該ホームに出動したこと、その後判示日時、右回送電車が予定どおり右ホームに到着し、下車した松井指導運転士を互に確保しようとして該ホーム上が混乱状態となつたが、間もなく同運転士を取り巻く判示先頭集団が判示中庭の方向に移動し始めるや、これに続いて被告人も右組合動員者とともに同様中庭の方向に移動したこと、かくて被告人は判示乗務員室(乗務員詰所)玄関口の階段付近に至つたところ、たまたま判示渡り廊下東側の、しかも判示乗務員室玄関前付近の中庭でヘルメツトをかぶり輪になつた佐藤俊夫等数名の公安官を認めるとともに、そのまわりを約数十名の組合動員者が取り巻き渦巻き状態でもみ合つている情景を目撃するに及んで、先頭集団にいた松井指導運転士がすでに組合動員者とともに判示乗務員室に入つたことも知らず、同人が右公安官の輪の中にいるものと誤信し、直ちに判示乗務員室玄関口の階段付近から佐藤公安官等に向つて突き進み、当時上司の命令によつて松井指導運転士を当局側に確保するため、その保護、警備の任務を帯びていた佐藤公安官に近寄り、同人に対して前判示のように暴行を加えて、同人の公務の執行を妨害し、さらにこれを現認した公安官町田博、野村吉勝から公務執行妨害の現行犯人として逮捕されようとするや、その逮捕を免れようとして同人等に対しそれぞれ前判示のように暴行を加えて同人等の職務の執行を妨害し、判示傷害を与えたことは、証拠上明らかであつて、少しも疑いをいれる余地がないというべきである。

もつとも、

1  第三六回公判調書のうち証人田角実男の供述中、同人の「私は松井運転士を囲む先頭集団が組合員、公安官が入り乱れて下り線ホームから線路を横切つて乗務員詰所(乗務員室)の方へ移動して行つたので、その後ろ一メートル位のところを一緒について行つた。そして松井運転士を含めた五、六人の人が詰所の中へ入つたので、私も詰所の玄関口の階段をあがつて、玄関のたたきに二、三歩入つたところ、玄関の中の方で『逃げろ』という組合員の声が聞こえた。そこで何が何だかわからなかつたが、私はあわてて外へ飛び出したあと渡り廊下付近で私は二、三人の組合員と思う人が飛び出して来て、中庭の自動車置場の方へころがるようにして行くのを見た。そのうちとあから出て来た人を中心にして当直助役室の窓の下あたりで一五、六人が何か騒わいでいるように見えたので、私は何かあつたのだろうと思つて寄つて行つたところ、その中の方で『誰かつかまつてるぞ』というような声が聞こえた。そのあとつかまつた人を見たら被告人であつた」旨の供述記載

2  第三六回公判調書中の証人石田光男の供述中、同人の「私は松井運転士を含む組合員、公安官の一〇人位の先頭集団のあとからそれを追いかけるようにして乗務員室(乗務員詰所)の玄関口の方へ行き、その玄関口の階段を上つて、中のたたきに入つた途端、組合員と公安官がいて、その組合員が逃げるようにしており、公安官がそれを追いかけるような恰好をして『公務執行妨害だ』と言つて、組合員の上衣の裾をつかんだので、私は騒ぎが起きてはいけないと思いその組合員と公安官の中に分けて入り、その組合員を肩を叩いて押して外へ出してやつた。その人は詰所の玄関から中庭に出て足早に線路の方へ逃げて行つたと思う。その組合員は被告人ではない」旨の供述記載

3  第三七回公判調書のうち証人丸山吉治の供述中、同人の「松井運転士が勝田駅下り線ホームに降りると同時に同人を中心とした渦ができて、ホーム上が騒然となつたので、私は乗務員専用通路を通つて松井運転士を中心とした集団よりも先に乗務員詰所のある中庭の方に来たが、間もなく松井運転士を中心とした五、六人の組合員や公安官の集団が来て乗務員室(乗務員詰所)の玄関の階段を上つてその中に入つて行つた。そして、一、二分して五、六人の集団がその階段をおちるような恰好で中庭の自転車小屋の付近へ押し流されるようにして行き、そこから運転当直助役室の窓際まで移動して行つた。その出て来た五、六人の人は組合員と公安官であり公安官の方が多かつた。その人達が飛び出して自転車小屋に行くまでの間に乗務員室の玄関口の階段のところにいた宇都宮の平田という組合員が『手錠をもつているぞ』と大声で皆に知らせたので、私は驚いて逮捕されては困ると思いその集団のところへ行つたが、他の組合員達が公安官の外側を取り巻いており、一人の組合員が公安官に逮捕されそうになつていたので、それを引つぱるような恰好になつていた」旨の供述記載

4  第三七回公判調書のうち証人松原勲の供述中、同人の「私は松井運転士を含む集団のあとから、乗務員室(乗務員詰所)の玄関口の階段下に来て、そこで立ち止つていたところ、そのとき乗務員室の方から乗務員(松井運転士)を収容したという声を聞き『ああ、よかつた』と思つていたところ、乗務員室の方から私の背中を突いてその階段を一人の組合員がまるで転ろげるような恰好で出て来た。そして、その組合員のあとを階段付近にいた公安官が追いかけて来て、同人を自転車置場と反対側の中庭で取り囲んだ。それで組合員等もその公安官を取り囲んだ」旨の供述記載

5  第三七回公判調書中証人大井利雄の供述中、同人の「松井運転士を含む先頭集団が乗務員詰所の中へ入つた後、私がその詰所の玄関内のたたきに入つたら、そこに公安官が四、五人と組合員が二、三人いてそのうちの一人の組合員が一人の公安官に両手をつかまれ、足を蹴られているのを見て、危険だと感じたので、その場から線路側に逃げ出した。そのあと、両手をつかまれたり蹴られたりしていた組合員もその場から逃げ出して中庭の方に行つたので、公安官がそれを追いかけて行き、その逃げ出した組合員と公安官との渦巻きが出来、それが運転当直助役室の窓際の方に移動して行つた」旨の供述記載

6  第三二回公判調書のうち証人東隆一の供述中、同人の「私は松井運転士を含む先頭集団のあとから中庭に来て乗務員室の中の様子を見ていたところ、私の後ろの方で『この野郎』という声を聞いたので振り向いたら、自転車置場の方で公安官が、乗務員に逃げられて『畜生』とか何とか言つていた。自転車置場の方で一ヶ所混乱があつた。その後私が渡り廊下の運転当直助役室寄りのところで立つて見ていたら、乗務員室の階段で一人の背の高い公安官が私の方を向き指差して『パクレ』『そいつをパクレ』『パクレ』と二度程言つたので私はその場から自転車小屋の方へ逃げ出した。後ろを振りむいたら追いかけて来なかつたが、そのとき顔の小さい、背の小さい組合員が私の前にいた渡り廊下の付近で公安官につかまつていた。その組合員は被告人ではない」旨の供述記載

7  第三五回公判調書のうち証人瀬尾冒良の供述中、同人の「松井乗務員(運転士)と組合員、公安官を含めた先頭集団が勝田駅下りホームから線路を通つて乗務員室の方へ移動したが、私がそのあとを追つて乗務員室の階段をかけあがつてその入口に近づいたときには、すでに公安官数名がその乗務員室のたたきにいたし、組合員も何人かいたが、私は松井乗務員を組合側に確保できたということから公安官が、まだそこに頑張つているということが、私自身としては不当であると考え、右手をあげて『外へ出ろ』と何回も公安官に言つた。すると一番背の高い公安官が逮捕するぞということで私の右手をつかんだので、自分としては逮捕されるようなことを何もしていないので、後ろへのがれるようにしてその場から中庭自転車置場の方へ逃げた」旨の供述記載

8  被告人の当公判廷における本件逮捕が誤認逮捕ないしデツチあげ逮捕である旨の供述、その他関係各証拠によると弁護人等が主張するように、判示乗務員詰所入口付近のたたきで、その場まで入つた野村、町田、松本等と思われる各公安官によつて、その場にいた組合員に対し逮捕するぞとか、殴つたり、蹴つたりする等の暴行がなされ、そのため逮捕されることをおそれた被告人以外の右組合員等がいずれも右たたきから玄関のドアーを開け、中庭に向つて一斉に逃げたところ、公安官等がこれを追つて中庭に飛び出した事実、そしてかように公安官等がたたきにいた被告人以外の数人の組合員を逮捕しようとしたが捕えられなかつたため、たまたま右詰所入口階段付近にいた被告人をその組合員の一人と間違え公務執行妨害の犯人として逮捕したのではないかとの事実が推測され得るかの如くである。しかしながら、これらの各証拠は前掲各証拠に比照して考察すると、いずれもたやすく信を措きがたく、結局弁護人等が主張するように本件逮捕が誤認逮捕ないしデツチあげ逮捕であるとの事実は証拠上到底これを認めることができず、他にこれを認めるに足る適切な証拠もないというべきである。

第二、公務執行妨害罪の成否等について

一、公安官の職務権限について

弁護人等は「公安官の職務根拠は、鉄道営業法第三二条、鉄道公安職員の職務に関する法律、鉄道公安職員職務規程に依拠するというべく、従つて公安官がその職務を執行するに際しては社会的に相当と認められる範囲においてある程度の実力行使が許されるであろうが、警察官職務執行法等即時強制力の行使についての具体的法規も存在せず、かつ本件闘争は、その目的、手段、結果からしても、未だ公共企業体等労働関係法第一七条にいう『争議行為』に該当しないし、正当な組合活動に対し、保護、警備という名のもとに実力をもつてこれに介入する、いわゆる強制力の行使は許されない。そして、松本、町田、野村の各公安官は、松井運転士の乗務する電車に日立駅から乗り込み、水戸駅に至り同駅から折り返えし勝田駅に至るまでの間、同運転士を保護、警備する特命を受けていたものであり、同駅到着後は改めて勝田地区対策部から指示を受けることになつていた一方、同対策部公安班の警備班所属の佐藤公安官等は勝田駅に到着した松井運転士を駅ホームから跨線橋、改札口を経て駅前で待機している自動車まで保護、警備し、自動車班所属の公安官が、さらに同人を自動車に乗せて富士広旅館に案内すべき特命を受けてそれぞれ下りホーム上に出動したものであるが、松井運転士の勝田駅到着後、ホーム上が混乱状態となり、相互に連絡のとれないまま、しかも松井運転士が組合側に参加の意思を明らかにして組合幹部とともに中庭方向に移動しようとしたところ、右公安官がこれを阻止し、同運転士を下りホームから運転当直助役室まで連行する何等具体的、個別的職務権限を有していないにもかかわらず、不当にも運転当直助役室へ連れ行こうとして同人の身体に手をかける等の実力行使に及んだものである。そればかりでなく、松井運転士は大津港駅において組合員の説得により、その提示した闘争参加確認書に任意に署名し、組合事務所(乗務員室)に何の抵抗もなく入り、そこで運転状況報告書を書く等退区点呼を受ける準備をしていたこと、なお監視者もいない出入自由な同室内からことさら出て行く等の行動をとつていないこと等から見ても本件闘争に際し組合側に参加する意思を有していたことが明らかである。かように松井運転士は組合側のオルグ活動等正当な組合活動によつてすでに組合側に確保されたものというべく、かかる乗務員を公安官が実力をもつて組合側からこれを奪還することは、労働争議の慣行に違反し、労働基本権の侵害であり、そして前記のように公安官が特命を受けた事項ならいざ知らず、それ以外の事項にわたつて職務を遂行しようとしたことは、法的根拠を欠く実力行使であつて、適法な職務権限の範囲を逸脱した違法な行為といわねばならない」旨縷々主張する。

そこでこの点につき以下検討する。

元来公安官は、その職務に関する鉄道営業法、鉄道公安職員の職務に関する法律等の法令ならびに鉄道公安職員基本規程により、国鉄の施設および車両内における秩序維持ならびに貨客の安全かつ輸送業務等に関する警備的任務を有するものであるが、その任務遂行に伴う有形力の行使にあたつては、もとより警察官の場合における警察官職務執行法の如き法令上の根拠を有しないところに思いをいたすと、その行使の限界は警察官と公安官との間に著しい差異の存するところであるが、さりとて社会通念上相当と認めらられる程度の有形力の行使が可能であることもまた否定しえないところであり、そして、しからばいかなる場合にいかなる程度の有形力の行使が許されるかは、結局具体的場合に応じて判断せざるをえないものというべきであろう。それ故、たとえば、本件のような闘争の場合において、乗務員が組合側に立つて闘争に参加する意思を表明し、かつ当局側に協力しない態度をとるというようなときには、公安官においてもたとえ上司から該乗務員を確保するようにとの命令があつたとしても、その乗務員の意に反し該乗務員を当局側に確保すべく実力をもつてこれを連行するというような実力行使は、公安官の職務の遂行に伴う有形力の行使としては最早許されないのではないかと思われる。

ところで、翻つて本件をみるに、前記公安官等は、いずれも本件四、三〇闘争にあたり、前判示のように勝田地区対策部に派遣され、大垣公安班長の指揮のもとにその職務を遂行していたものであるが、当時組合側が乗務員確保につき積極的なオルグ説得工作を行つていたため、本件闘争に突入する四月三〇日午前零時を目前にして、当局側は一人の乗務員も確保することが出来ず、判示二五ダイヤの乗務員にもこと欠く有様となり、電車の運行に支障を来たすおそれが生ずるに至つたので、当局側としては、前判示のようにやむなく松井指導運転士を当局側に確保することになり、同運転士が組合側に説得されるのをおそれ、同運転士を保護、警備すべく、町田、野村、松本の各公安官を同運転士の乗務する判示大津港駅発の電車に日立駅より警乗させることになつたわけであり、一方その間に当局は同運転士が勝田駅下りホームに到着後、前判示のように同運転士を跨線橋を渡り、駅改札口から駅前に待機する自動車に乗せて富士広旅館に案内すべく、佐藤等一〇名の公安官を下りホームに出動させた。かくて、同運転士が勝田駅下りホームに到着するや、判示のように松井指導運転士を保護、警備の任務を帯びた町田、野村、松本の各公安官は、該ホーム上の混乱から上司の指示命令を受けることはもとより、佐藤公安官等と何等の連絡もとりえない状態となつたので、事前の打合わせに従い、なお同運転士が指導運転士であり、かつ上司からも同人が当局に協力的な人であるので是非確保するようにとの指示があつたし、同人の机、ロツカー等が運転当直助役室にあり、同室で退区点呼を受けることになるであろうこと等を考え、とつさに同人を保護、警備して運転当直助役室に連れ行こうと判断し、直ちにその行動を開始する一方、ホーム上に出動した佐藤等一〇名の公安官も、右町田等公安官との間で連絡もとれないまま、判示特命に従い松井指導運転士を保護、警備しつつ跨線橋を渡り駅改札口の方向に連れ行く等して確保すべく、同運転士や組合員、公安官等の先頭集団のあとを追つて判示中庭へ至つたが、松井運転士等の先頭集団はそのまま当直乗務員室に入り、その直後他の組合員とともに松井運転士を組合側に確保すべく、ホーム上に出動した被告人が、前判示のように佐藤、野村、町田の各公安官に対し、判示暴行を加えて、その職務の執行を妨害し判示傷害を与えたのである。かようにして乗務員室に入つた松井運転士は当時組合側に参加する意思を有していた旨弁護人らは主張するけれども、第二〇回公判調書中、証人松井重雄の「大津港駅において闘争参加確認書に署名したのは、四、三〇ストライキに参加する意思を明示したものでなく、乗務中のことでもあり同乗している組合員との間で無用な紛争が起きて電車の運行業務に支障の生ずることをおそれ、宍戸千葉地本委員長に求められるままこれに署名したものであり、勝田駅に帰着した後、当直助役室において退区点呼を受けてから本件四、三〇闘争に参加するかどうかその態度を決しようと考えていた。そして、勝田駅で所定の停止位置に停車しホーム上に下車した直後、混乱状態となり、どうすることもできず組合員等に囲まれたまま中庭から乗務員室に連れて行かれ、その場で組合幹部から当局側と話し合つてくるまでの間待つてほしいと言われたが私は、通常通り退区点呼を受けるつもりでいたから、その準備をしながら、組合事務室で待機していた」旨の供述記載によれば、弁護人等が主張するように、果して松井指導運転士が本件闘争にあたり、積極的に組合側に参加する意思を有していたかどうか疑問であるというべく、結局松井指導運転士は運転当直助役室へ行こうとする積極的な言動をなさず、さりとて乗務員室に入ることを積極的に反対する言動も示さず、取り囲んだ組合員等のなすがままに乗務員室に入つたものであるとみるのが相当であり、むしろ不本意ながら乗務員室に入るに至つたものと認めるべきものであろう。とすると、野村、町田両公安官が松井運転士を当局側に確保すべく運転当直助役室に連れ行こうとしたことは適法な職務執行というべきである。

ところで弁護人らは、町田、野村、松本等公安官の職務は松井指導運転士を勝田駅ホームまで保護、警備することであつたから、同駅到着後、上司より新らたな指示命令を受けない限り、その任務も終了し、爾後同運転士を保護、警備して運転当直助役室へ連行することは許されない旨主張するが、なるほど町田公安官等が勝田駅までの間松井指導運転士を保護、警備するよう命ぜられていて、同駅到着後上司より何等かの指示命令があることになつていたけれども、その指示命令を得られなかつたが、松井指導運転士を当局側に確保すべくその保護、警備の特命を受けてその職務の遂行中であつたし、また当時松井指導運転士自身としても勝田駅到着後、直ちに運転当直助役室に至り退区点呼を受ける意思を有していたのであるから、勝田駅到着後上司から何等かの指示命令があるまでの間引続き同運転士を保護、警備するのが当然であり、同駅到着と同時にその任務が消滅するものとは到底解しえられないのみならず、むしろ町田公安官等が前判示のようにホーム上の混乱状態から松井指導運転士を保護、警備して運転当直助役室に連れ行こうとした措置は当時の事情にかんがみ、適切であつたと思われるので、弁護人等の右見解には賛成できない。

なお、弁護人等は、松井運転士は前記のように、すでに乗務員室内に入り、組合側に確保されてしまつたのであるから、それを公安官が本件において体勢を建て直し、実力をもつて同運転士を組合側から奪還することは許されないというべく、しかるにこれが奪還を図つたとして、同公安官の所為の不当性を主張するが、前判示のように松井指導運転士を取り囲んだ先頭集団とともに判示乗務員室玄関内のたたきに入つた公安官が、単にそのような考えを抱いてその場から右玄関を通り判示中庭に出たというのであつて、末だかかる考えのもとに現実に体勢を建て直して松井指導運転士を奪還すべく、その実力行動に出たというわけのものではないのであるから、かかる実力行動をとつたことを前提として、その不当性を云々する弁護人らの所論には、これまた賛成することはできない。

二、本件公務執行妨害罪に関し、佐藤俊夫公安官の具体的任務(具体的権限)の有無について

弁護人等は、本件において勝田駅下り線ホームに出動した佐藤公安官は、上司から松井指導運転士の乗務する電車が、右ホームに到着後、同運転士を当局側に確保すべく、保護、警備して右ホームより跨線橋を渡り、駅改札口から予め同駅前で待機している自動車まで連れて行くべき任務を与えられていたものの(但し、その後は公安班の自動車班に所属する他の公安官が同運転士を自動車に乗せて富士広旅館に連れ行くことになつている)、その後、同運転士が前記のように組合側に確保されるに至つた以上、公安官が同運転士を実力をもつて組合側から奪還しようとするのは、明らかにその職務権限を超えた違法な行為というべきであり、また本件において公安官が被告人の逮捕に際し、これに手錠をかけた行為は、公安官の違法な暴力行為というべく、それ故被告人が公安官に対し、手錠をかけるという暴力行為を排除すべく抵抗を行なつたとしても、その行為は正当防衛行為として違法性を阻却するものである旨主張する。

そこで、この点について考察するに、佐藤公安官は上司から松井指導運転士の乗務する判示回送電車が判示日時勝田駅下り線ホームに到着後、直ちに同運転士を保護警備しながら、跨線橋を渡り、駅改札口を出て、予め同駅前で待機している自動車まで連れ行くようにとの指示命令を受けていたところ、前判示のように、右回送電車の到着後、松井指導運転士が下車すると同時に右ホーム上が混乱状態に陥つたため、同運転士に近寄ることができず、かくて同運転士を含む判示先頭集団が、判示中庭に移動し、そのまま乗務員室玄関から同室内に入つたので、これを追つて同玄関内に一、二メートル入つたが、その場に多数の組合員がいて殺気立つていたところから、身の危険を感ずるとともに、同運転士が組合員に連れ去られたことを上司に報告し、その後の指示を仰ごうと考えて、右玄関口から室外に出た途端、判示渡り廊下東側の中庭で渦巻き状態でもみ合つていた多数組合員のその渦巻きに巻き込まれ、もまれたり、押されたりして移動するうち、判示中庭で被告人から左手拳で判示右耳のうしろあたりを殴打されるに至つた事実は、前判示認定のとおりであるが、かように松井指導運転士が組合員等によつて乗務員室内に連れ去られ、組合側に確保されるに至つたことから、佐藤公安官においてやむなく同運転士を直接確保することを一応断念し、その旨上司に報告してその後の指示命令を受けるべく、乗務員室玄関口より中庭に出たという前記状況のもとにおいては、佐藤公安官は末だ前記職務の執行中であつたとみるのが相当であるというべく、この点に関する弁護人等の右主張は採用できない。のみならず、その際弁護人等が主張するように、佐藤公安官等が判示乗務員室内に入つた松井指導運転士を実力をもつて奪還しようとしたとの事実は証拠上認められず、それ故かように同運転士を奪還しようとしたとの事実を前提とする弁護人等の右主張は、もとより採用の限りでないというべきであり、また被告人が判示中庭で佐藤公安官に対しその右耳の後ろあたりを左手拳で殴打してその職務の執行を妨害したことから、これを見た町田、野村の両公安官が、被告人を公務執行妨害の現行犯人と認めてこれを逮捕しようとしたこと、かつその際、町田公安官が被告人の左手に片手錠をかけたことは証拠上明らかであり、そして公安官が鉄道施設内において現行犯人を逮捕するにあたり、その必要がある場合には手錠を使用しうることは、鉄道公安職員の職務に関する法律、鉄道公安職員基本規程、鉄道公安職員捜査要則等の法令上明らかであるというべく、従つて本件において町田公安官が前判示のように現行犯人として被告人を逮捕するに際し、被告人に対し手錠をかけたことを目して公安官の違法な暴力行為であるとは到底断じえないし、また被告人がその逮捕を免れようとして町田、野村の両公安官に対し判示暴行を加えているけれども、これは同公安官の判示現行犯人逮捕という適法な職務の執行にあたり、これに判示暴行を加えたというのであるから、これが刑法にいわゆる正当防衛行為とは認められないので、右主張も、また採用の限りでない。

よつて、主文のとおり判決する。

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